涼冷え、花冷え、雪冷え――。日本酒は冷やす温度によって、こんな風雅な呼び名があるのをご存じだろうか。日ごと暑さが増すこれからの季節、キリリと冷えたとっておきの酒を涼やかなガラス製の酒器に注いで飲めば、さらに味わい深くなる。
ここでご紹介するのは、繊細かつ大胆なカットと、鮮やかな色彩が美しい鹿児島の伝統工芸「島津薩󠄀摩切子」。江戸時代末期に誕生するも、わずか20年余りで姿を消した〝幻の切子〟である。
19世紀にイギリスやフランスなど西欧列強による東アジアの植民地化が進む中、島津家28代 薩摩藩主・島津斉彬公は富国強兵を掲げ、製鉄や造船などさまざまな洋式産業「集成館事業」を推進。その一環として研究開発されたガラスの着色技法は、紅・藍・紫・緑など多彩な色づけに成功。中でも日本初の着色に成功した紅色は「薩摩の紅ガラス」と賞賛された。これらの色ガラスを被せてカットを施す 「薩摩切子」が誕生した。
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斉彬公の急逝で幻となった薩󠄀摩切子
しかし、藩主就任からわずか7年後の1858年、島津斉彬公の急逝により「集成館事業」は縮小。さらには1863年に起きた薩英戦争で工場は消失、大打撃を受けることになり、西南戦争が起きた1877年頃には、薩摩切子の技術は途絶えてしまった。島津斉彬公が西欧列強に対抗し、国を守るために起こした工芸品は、こうして歴史から姿を消したのである。
存続していれば、日本のガラス工芸の歴史を大きく塗り替えたであろう薩摩切子。長らく有識者の間で知られるだけの幻の器だったが、これを復興させようという機運が高まり、1985年に設立された島津興業の関連会社「薩摩ガラス工芸」が、薩摩切子の製造を1986年に開始した。
当時、現存するオリジナルの薩摩切子は百数点と言われていた。「しかしそのすべてを確認することはできないので、多くは図録などの写真が頼りでした」と語るのは薩摩ガラス工芸の職人・上國料 将さん。「工具のわずかな違いでも色のぼかし具合が変わるので、まずは薩摩切子に適した工具を作るため」の試行錯誤に明け暮れたという。
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江戸時代から現代へ受け継がれる精神
江戸時代の薩摩切子は手作りで、風合いや温かみが作品の魅力だ。よみがえった薩摩切子は、手作りに加え現代のガラス技術によって、当時よりも鮮やかで安定した宝石のような発色の美術工芸品となる。
カットはガラス生地の不純物を取り除きながらデザインしていく工程であり、個体ごとに彫りの深さを変える。コンマ数ミリで表状が変わるので、繊細な技術が求められる。「薩摩切子を楽しむことで、お客様の日常を少しでも彩ることができれば職人冥利に尽きます」と語る上國料さん。これこそが江戸時代から時を超えて受け継がれた、薩摩切子の精神なのだ。
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現代によみがえった伝統の薩摩切子に、新しい色彩の世界を表現。2001年春、21世紀のはじまりを記念して用いられた「二色被せ」の技法は、2つの色を重ねた生地で美しい濃淡を生み出す。
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二色被せしたガラス生地を加熱炉に入れてなじませ、型吹きや宙吹き技法によって、器の形を作る。完全な手作りの工程となるが、不純物が多いなどの理由で、仕上がったガラス生地には使えないものがあるという。
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生地にカットを施すための目安となる線を引いていく作業「割り付け」。デザインを決める重要な工程だ。
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タンブラーや猪口の口縁は、唇にフィットする形状にするため。成形の過程で再度炉で溶かして仕上げる。
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薩摩ガラス工芸
上國料 将さん
薩摩ガラス工芸のガラス職人、上國料 将さん。薩摩切子のカットを担当し、職人歴は14年。仕事前のジム通いが趣味だ。
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そのひと彫りに 職人の魂が宿る 宝石のように輝く 薩摩切子
薩摩切子の猪口は酒を注ぎ 入れることにより、色のグラデー ションがさらに際立つ。 その華やかさから、前菜を盛る 器としても愛用できる。
今年の新作であるこのタンブラーは、 今までにない口縁から入る深いカットが特徴。 薩摩切子特有のダイナミックなカットを より堪能できる。
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クリスタルガラスで作られた薩摩切子は、透明度と光の屈折率の高さが特徴。その輝きは宝石に喩えられるほどの美しさだ。
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薩摩切子は透明ガラスの上に色ガラスを厚く被せて作られる。繊細な色の表現と、手にしたときの重厚感はそこからきている。
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二色被せで成型した器に加工を施す。透明ガラスと色ガラスの間にある、色が抜けるか抜けないかの部分に「ぼかし」の美が宿る。
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お酒をロックや水割り、ソーダ割りなどで飲むのに最適なタンブラーと、ストレートで飲むのに適した猪口をラインナップ。
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薩摩切子の器は専用の木箱に入れてお届け。お酒好きな友人への贈り物としても喜ばれる。
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タンブラーと猪口を真上から見ると、万華鏡をのぞき見るような美しい模様が楽しめる。